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2025年11月13日
コーヒーの香りと音楽の相性——脳科学的な共通点
はじめに──音楽喫茶で感じる特別な時間
名古屋のライブ喫茶ELANでは、毎日多くのお客様が音楽とコーヒーを楽しみながら、特別なひとときを過ごされています。広く落ち着いた雰囲気の店内には、往年の名曲を収めたレコードが所狭しと並び、その日の気分に合わせて選曲された音楽が静かに流れています。
お客様からよく「ここでコーヒーを飲むと、いつもより美味しく感じる」というお声をいただきます。実はこれ、単なる気のせいではありません。音楽とコーヒーの香りには、脳科学的に深い関係があるのです。
当店では長年、音楽とコーヒーの組み合わせにこだわってきました。どんな音楽を流すか、どんなコーヒーを提供するか。この二つの要素が組み合わさったとき、お客様の体験は何倍にも豊かになります。それは偶然ではなく、人間の脳の仕組みに深く関係しているのです。
今回は、音楽とコーヒーの香りがなぜこれほど相性が良いのか、脳科学の視点から紐解いていきます。当店で実際に体験できる、この不思議な関係性について、じっくりとお話しさせていただきます。
香りと音楽が脳で出会う場所
人間の脳には、感覚を処理する様々な領域があります。興味深いことに、香りを感じる嗅覚と、音楽を感じる聴覚は、脳の中で密接に関係しているのです。
嗅覚は五感の中でも特殊な感覚です。他の感覚と違い、嗅覚の情報は大脳辺縁系という、感情や記憶を司る部分にダイレクトに届きます。この大脳辺縁系には、扁桃体や海馬といった重要な器官があります。扁桃体は感情の処理を、海馬は記憶の形成を担当しています。
一方、音楽を聴くとき、脳では複数の領域が活性化します。リズムを感じる部分、メロディを認識する部分、そして同じく感情を司る大脳辺縁系も大きく関わっています。つまり、コーヒーの香りと音楽は、脳の同じエリアで処理されているのです。
当店でよく見かける光景があります。お客様が淹れたてのコーヒーをカップに近づけ、まず香りを楽しまれる瞬間です。そこにジャズの柔らかなメロディが重なると、お客様の表情がふっとほぐれます。これは脳内で香りと音楽が融合し、相乗効果を生み出している証拠なのです。
脳科学の研究では、複数の感覚が同時に刺激されると、それぞれ単独で刺激されるときよりも、記憶に残りやすく、感動も大きくなることがわかっています。これを「クロスモーダル効果」と呼びます。当店でのコーヒー体験が特別に感じられるのは、この効果が働いているからかもしれません。
コーヒーの香りがもたらす脳への影響
コーヒーの香りには、約800種類もの香り成分が含まれています。これは食品の中でも特に複雑な部類に入ります。この豊かな香りが、私たちの脳にどのような影響を与えるのでしょうか。
杏林大学の研究チームが興味深い実験を行いました。被験者にコーヒーの香りを嗅いでもらいながら、脳波を測定したのです。結果、コーヒーの香りはアルファ波を増加させることがわかりました。アルファ波とは、リラックスしているときに多く出る脳波のことです。
さらに面白いのは、コーヒーの種類によって脳への影響が異なるという点です。深煎りのコーヒーは、よりリラックス効果が高く、浅煎りは頭をすっきりさせる効果があるとされています。当店では様々な焙煎度合いのコーヒーを用意していますが、お客様の求める気分に合わせて選んでいただけるのは、こうした理由もあるのです。
実際に、夕方にご来店されるお客様には、深煎りのブレンドをお勧めすることが多いです。一日の疲れを癒やし、ゆったりとした時間を過ごしていただきたいからです。逆に、午前中にお仕事の合間に立ち寄られる方には、やや浅めの焙煎のコーヒーをご提案します。
コーヒーの香りには、記憶を呼び起こす力もあります。お客様から「このコーヒーの香りを嗅ぐと、昔よく通った喫茶店を思い出す」といった話をよくうかがいます。これは先ほど触れた、嗅覚と海馬(記憶を司る部分)の密接な関係によるものです。香りは、言葉や映像よりも、強く記憶と結びついているのです。
音楽が味覚に与える不思議な効果
音楽が味覚に影響を与えるという事実は、近年の研究で次々と明らかになっています。これは当店のような音楽喫茶にとって、非常に重要な知見です。
オックスフォード大学の研究者、チャールズ・スペンス教授の実験が有名です。同じコーヒーを、異なる音楽を聴きながら飲んでもらったところ、高音の音楽を聴いたグループは「甘く感じた」と答え、低音の音楽を聴いたグループは「苦く感じた」と答えたのです。
この結果は驚くべきものでした。まったく同じコーヒーなのに、音楽によって味の感じ方が変わるのです。当店でも、この知見を活かして選曲を行っています。
例えば、酸味の強いエチオピア産のコーヒーを提供するときは、明るく軽快なボサノヴァを選ぶことがあります。酸味と高音の音楽は相性が良く、コーヒーのフルーティーさが引き立つのです。一方、深煎りの力強いコーヒーには、ジャズのベースラインがしっかりした曲を合わせます。低音が、コーヒーのコクと苦味を一層際立たせてくれます。
音楽のテンポも重要です。ゆったりとしたテンポの音楽を聴きながらコーヒーを飲むと、お客様は時間をかけて味わってくださいます。結果として、コーヒーの複雑な風味をより深く感じていただけるのです。
あるお客様から、こんなお話を聞いたことがあります。「同じコーヒー豆を自宅でも淹れているのに、ELANで飲む方が美味しい」と。もちろん、淹れ方の技術もあるでしょう。しかし、店内の音楽、空間全体の雰囲気が、コーヒーの味わいを何倍にも豊かにしているのだと思います。
リラックス効果の相乗作用
コーヒーの香りと音楽、それぞれ単独でもリラックス効果がありますが、組み合わさることで相乗効果が生まれます。これは当店が最も大切にしている部分です。
ストレスを感じているとき、人間の体内ではコルチゾールというホルモンが分泌されます。このコルチゾールが高い状態が続くと、心身に様々な悪影響が出ます。しかし、コーヒーの香りを嗅ぎ、心地よい音楽を聴くことで、コルチゾールの分泌が抑えられることがわかっています。
同時に、セロトニンという「幸せホルモン」の分泌が促進されます。セロトニンは気分を安定させ、心に安らぎをもたらす神経伝達物質です。つまり、音楽喫茶でコーヒーを楽しむという行為は、科学的にも理にかなったストレス解消法なのです。
当店では、時間帯によって音楽の選曲を変えています。午後の時間帯、多くのお客様がリラックスを求めて来店されるときには、特に注意深く選曲します。ビル・エヴァンスのピアノトリオや、チェット・ベイカーの優しいボーカル。これらの音楽とコーヒーの香りが混ざり合う空間で、お客様は日常の喧騒から解放されるのです。
興味深いことに、音楽とコーヒーの組み合わせは、創造性を高める効果もあります。適度な音量の音楽(70デシベル程度、カフェの雑音レベル)は、抽象的思考を促進するという研究結果があります。当店で原稿を書いたり、絵を描いたりするお客様が多いのは、こうした理由もあるのかもしれません。
記憶と感情を結びつける力
香りと音楽には、記憶と感情を強く結びつける力があります。これは「プルースト効果」とも呼ばれる現象です。
フランスの作家マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の中で、主人公がマドレーヌの香りから幼少期の記憶を鮮明に思い出す場面があります。これにちなんで、香りによって記憶が呼び起こされる現象をプルースト効果と呼ぶようになりました。
当店には、何十年も通ってくださっている常連のお客様がいらっしゃいます。ある方は「学生時代、失恋したときに初めてここに来た。あのときと同じコーヒーの香りと、同じジャズが今も聞けることが嬉しい」とおっしゃっていました。香りと音楽は、その方にとって青春の記憶と深く結びついているのです。
脳科学的に説明すると、嗅覚と聴覚の情報は、海馬と扁桃体を通じて、感情と記憶として強く刻まれます。視覚や触覚の情報よりも、香りと音は感情的な記憶として残りやすいのです。
だからこそ、当店では安易に内装を変えたり、選曲のコンセプトを変えたりしません。お客様にとって、ELANは「いつ来ても変わらない場所」であり続けたいのです。その一貫性が、お客様の心の中に特別な場所としての記憶を作っていくのだと信じています。
実際、しばらくぶりにご来店されたお客様が「やっぱりここは落ち着く」とおっしゃる瞬間は、スタッフとして最も嬉しい瞬間の一つです。それは単なる懐かしさではなく、脳が「この場所は安心できる」と記憶しているからこその反応なのです。
当店での実践──音楽とコーヒーの最適な組み合わせ
ここまで脳科学的な説明をしてきましたが、では実際に当店ではどのように音楽とコーヒーを組み合わせているのでしょうか。
まず、コーヒーの選定には細心の注意を払っています。豆の産地、焙煎度合い、挽き方、抽出方法。これらすべてが香りに影響します。同じ豆でも、抽出方法が違えば香りの立ち方がまったく変わるのです。
例えば、サイフォンで淹れたコーヒーは香り高く、華やかな印象になります。このときは、ビル・エヴァンスのような繊細で美しいジャズピアノが合います。一方、ペーパードリップでじっくり抽出したコーヒーは、落ち着いた深い香りになります。こちらには、チェット・ベイカーのメロウなボーカルや、スタン・ゲッツのサックスが寄り添います。
音量にも配慮が必要です。音楽が大きすぎると、コーヒーの繊細な香りを楽しむ妨げになります。かといって小さすぎると、音楽の良さが伝わりません。当店では、お客様同士の会話が自然にできる程度の音量を保っています。これは約60~70デシベル、穏やかな会話程度の音量です。
レコードを使用していることも重要なポイントです。デジタル音源とは違う、アナログレコード特有の温かみのある音は、コーヒーの香りと不思議なほど調和します。レコードのわずかなノイズさえも、空間の一部として機能しているのです。
照明も忘れてはいけません。明るすぎない、少し落とした照明は、リラックス効果を高めます。視覚的な刺激を抑えることで、嗅覚と聴覚により意識を向けることができるのです。当店の落ち着いた照明は、音楽とコーヒーをより深く味わっていただくための演出でもあります。
お客様の声から学ぶこと
長年営業していると、お客様から様々なフィードバックをいただきます。そこから学ぶことは非常に多いのです。
「仕事で疲れたとき、ここに来るとリセットできる」というお声は本当によくいただきます。これはまさに、コーヒーの香りと音楽によるリラックス効果が働いている証拠でしょう。脳がストレス状態から解放され、心身ともに休息できているのだと思います。
また、「コーヒーを飲むと眠くなるはずなのに、ここではかえって頭がすっきりする」というお声もあります。これは興味深い現象です。カフェインの覚醒作用だけでなく、音楽による適度な刺激が、脳を活性化させているのかもしれません。
作家志望の若いお客様が「ここに来ると筆が進む」とおっしゃっていたことも印象的でした。これは先述の、適度な環境音が創造性を高めるという研究結果と一致します。完全な静寂よりも、心地よい音楽と適度な雑音がある方が、創造的な作業には向いているのです。
中には「ここに来るだけで、音楽の趣味が広がった」というお客様もいらっしゃいます。普段は聴かないジャンルの音楽でも、美味しいコーヒーと一緒なら抵抗なく受け入れられる。これも、複数の感覚が同時に刺激されることで、新しい体験への受容性が高まる効果だと考えられます。
お客様の反応を見ていると、一人ひとり最適な組み合わせが違うことがわかります。だからこそ、画一的なサービスではなく、その日のお客様の様子を見ながら、コーヒーや選曲を調整することを心がけています。
これからも大切にしたいこと
音楽とコーヒー、そして脳科学の関係について様々な角度からお話ししてきました。しかし最終的に大切なのは、理論ではなく実際の体験です。
当店が目指しているのは、お客様に「特別な時間」を提供することです。忙しい日常から離れ、ゆったりとコーヒーを味わい、心地よい音楽に身を委ねる。その時間が、心と体にとって本当の意味での休息になればと願っています。
脳科学の知見は、より良い空間づくりのヒントを与えてくれます。しかし、最も重要なのは目の前のお客様一人ひとりに向き合うことです。その日の気分、求めているもの、それらを感じ取りながら、最適なコーヒーと音楽を提供していきたいと考えています。
広く落ち着いた雰囲気の店内に、往年の名曲を収めたレコードが所狭しと並ぶ。ライブ喫茶ELANは、これからも音楽とコーヒーを楽しめる喫茶店として、皆様の心の拠り所であり続けたいと思っています。
音楽を楽しみながら、ゆったりとしたくつろぎの時間をお過ごしください。そして、コーヒーの香りと音楽が織りなす、脳にも心にも優しい時間を、ぜひ当店で体験していただければ幸いです。
名古屋にお越しの際は、ぜひライブ喫茶ELANへお立ち寄りください。スタッフ一同、心よりお待ちしております。
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Cafe & Music ELAN
やわらかな音と、香り高い一杯を。
名古屋市熱田区外土居町9-37
光大井ハイツ1F 高蔵西館102
052-684-1711
営業時間|10:00〜23:00
定休日|月曜・第1&第3火曜日
アクセス|金山総合駅より大津通り南へ徒歩15分
市営バス(栄21)泉楽通四丁目行き「高蔵」下車すぐ
地下鉄名城線「西高蔵」駅より東へ徒歩7分
JR熱田駅より北へ徒歩9分
ゆったりと流れる時間のなかで、
ハンドドリップのコーヒーとグランドピアノの音色がそっと寄り添います
あなたの今日が、少しやさしくなるように。
Live Café ELAN でお待ちしております
